院長経歴

0歳-10歳

1985年長野県長野市にて産まれる。 産まれてすぐに集中治療室へ入ったり、小学校低学年までは遠足などはよく欠席するなどこの頃はとても病弱でした。 そんな中、仲の良い友人達が入るというので何となく小学校2年生から地元のサッカークラブに入る。

11歳-15歳

8歳から始めたサッカーでしたが、特別興味があった訳では無いので寒かったり、眠かったりすると練習をよく休んでいました。 しかし、小学4年生のある日の練習でのこと。 サッカーが上手かったチームメイトにバカにされたのがきっかけで、急にその日からサッカーにのめり込むことに。 以来、全くの別人の様に練習は常に一番乗り、連日友人宅に電話をかけてはみんなを集めて毎日ボールが見えなくなるまでサッカーに明け暮れ小・中学校とキャプテンを努め、地区優勝やフットサルで県の得点王になり新聞にも取り上げて頂くなど、将来はサッカー選手になる!と意気込んでいました。

そんな14歳の夏、練習試合で相手選手と交錯し転倒。 痛くはないのですが膝の中で何か小石のような物が動いている様な違和感がありました。

整形外科では

「打撲だと思うから、しばらく様子をみましょう」 との診断をうけました。 怪我がちの私はこのとき漠然と診断結果に違和感を感じたことを覚えています。 「打撲でこんな違和感、出た事ないけどな・・・」

それから週1回診察のみの日々。 生きがいだったサッカーもできず、膝に何かが挟まったような激痛で膝が伸ばせずその度に冷汗をかくような生活が1ヶ月間も続きました。 そんな状態が我慢ができず、 私は「手術でも何でもいいから、何とかして下さい」と必死に訴え 医師が折れる形で1ヶ月後、つまりケガから2ヶ月経過したあとに内視鏡手術を受けました。

「そんなに痛がる程ではなかったけど、半月板がちょっと傷んでいたので少し削りました」

術後、この言葉を医師から聞き私は強い憤りを感じました。

「なぜ、もっと自分の話に耳を傾けてくれなかったんだ…」 「なぜ、遠方でもいいから検査をするかどうかを自分に聞いてくれなかったのか・・・(当時地元にはMRIがありませんでした)」

なんとか1ヶ月後にサッカーに復帰したのもつかの間、プレー中にバランスを崩して転倒し「右足首の脱臼骨折」をしてしまいました。 約9カ月もサッカーが出来なかった人生どん底のこの時期に、通院していた接骨院に大変お世話になり、先生の親身に接してくださる姿に感銘を受け 「将来は、接骨院の先生になろう」と決意しました。

15歳-18歳

どうしてもサッカーでまた活躍したいとの想いから高校は県内のサッカー強豪校へ進学。全国大会に出場したチームで「努力したで賞」を監督から頂くもBチームのキャプテン止まりという今となっては財産とも言うべき経験をする。 ネットを見られる環境が身近に無かった為、よく学校帰りには一人で書店に立ち寄り、「接骨院の先生になる為の学校」を探したりもしていました。 地元に学校が無かった為、18歳で上京。

19歳-21歳

朝8時から夜8時まで接骨院にて月2万の給料で修業。昼休みに学校という生活を3年間続けました。 非常に貧しかった為に、奨学金と実家からの米の仕送りで凌いでいた国家試験を5週間後に控えた1月末、親の病気により数か月に及ぶ家賃滞納が発覚し、急遽アパートからの退去勧告を受けてしまう。資格を取り、やっと院の戦力になれるかも・・・というタイミングながら、修業先の院長に頭を下げ即日退社。

翌日から配送会社の工場にて夜勤のバイトを始め、不足分は友人からお金を借り、何とか無事に国家資格を取得。

21歳-24歳

その後、週6日は整形外科勤務にて骨折・脱臼・ねんざなのどケガ、レントゲン写真の見方を学び、同時に週末は、友人への借金返済の為1年間は工場勤務を継続。

直属の上司の接骨院開業に伴い接骨院勤務へと移るも、自らの思い描いていた治療と接骨院業界全体が置かれている現状を目の当たりにし、小学4年生以来初めて目標を失い、張り合いの無い毎日を送る。

24歳-31歳

「国家資格とる為に頑張ったのに…今これだもんね」 ふと友人が口にした一言で目が覚める。 「このままではいけない」と翌日には退職を伝え、自分を追い込まなければと一念発起し転職活動をした後に24歳で新規開院の院の院長に就任。 しかし、予想以上に日々の診療で自らの実力不足を痛感。 プロとして、来て下さる方には一番のモノを提供しなければ・・・と毎日、午前午後診療前に触診や施術の確認、練習を開始。 月に2冊の医学書読破。 月に最低4回は外部の勉強会に単身参加し家賃の倍以上の金額を費やしました。 東北から関西・・・GWに夏休み・・・ 高速バスとマンガ喫茶に泊まりながら各地の勉強会に参加し続けて得たハングリー精神や説明のつかない自信が知識以上に私の財産になっています。

また、6年半院長を務めた内の4年間をオーナーのご厚意で一人体制で診療させて頂きました。

毎日15時間を治療家として院長として使う事が出来たのが私にとっては本当に幸せでした。

全ての患者様を一人占め出来る、言い訳の出来ない環境。温かく、意識の高い患者様。

今となっては治療家として本当に恵まれた日々でした。

「自分を信じて来て下さる方には、自分が心から良いと思える治療・環境を提供するべき」との考えから「完全予約制」「完全自費診療」への想いを強くしました。

開院

「完全予約制」「完全自費診療」への想いが抑えられなくなるも当然ながらオーナーの意向と私の方向性に相違があり独立を決意。 後任探しの目途がついた時期との兼ね合いもあり平成28年2月祐天寺駅西口徒歩1分にて、【私自身が治療家・医療人として誇り・プライドを持ってご提供できるものだけをご提供する。 (決して売上に捉われて治療家・医療人として推奨出来ないようなものを提供しない) その為には、ご提供する治療を誰よりも自分自身が厳しくチェックする必要がある為に、常に初心を忘れずに謙虚でいられるように】との想いから矜持整骨院を「完全予約制」「自費診療のみ」の治療院として開院。

偉そうな事を言っていますが、まだまだ治療家人生13年目。 今日よりも明日 明日よりも明後日 もっと有効で、良質で無駄のない治療を患者様に提供できるように。公私における、どんな事もプラスに変えてレベルアップしていけるように行動しています!

どうぞ、よろしくお願いします。